心揺さぶられる記事を読んだので、みなさんにシェアします。私の考えも知っていただけたらなぁ…

 

『授業中の内職』が「悪い」とはどうしても思えない理由

↑タイトルにある心を揺さぶられた記事です。まずはこちらをご覧下さい。

 

私は人に教える仕事をしている人です

私のブログを読んでいただいている方は投資の専門家かと思っていらっしゃるかもしれませんが、私は普段人に教える仕事を今しております。

ですから、普通の方よりも一層この記事の内容が心に響きました。

 

ともっちさんとは?

ともっちさんの記事を初めて私も読ませてもらったのですが、まっすぐで一生懸命で、物事をいろんな目線で捉えられる素晴らしい方だなと思いました。

これで大学4年生なんて驚きです。

 

私が大学4年生のときは、こんなともっちさんのように行動していませんでしたし、こんなふうに物事を考えていませんでした。

 

何も接点がないようですが、私もともっちさんもブログを書いているという共通点があり、お互いがブログを勉強しているスクールの中で一方的に私がさきほど見つけました(笑)

 

まだ一つ二つしか記事を読ませてもらっていませんが、関連記事の中に私の尊敬する武井壮さんに関する記事も書かれていて、共通する部分も多いのではないかと第一印象で感じました。

 

私が心揺らいだ内容

一方、内職してまでやらければいけない勉強は、

その人にとっては「かなり大切な勉強」だと思うんです。

だって、その授業が単に嫌なだけだったら、別に寝ていても言い訳ですから。

 

「怒られるリスク」を背負ってまでやる「内職」をする学生。

彼らをもう少しだけ応援してあげてもいいんじゃないかと思います。

 

先生のプライドや立場も理解できるんですが、

 

 一番大切である「生徒のしたい勉強」、「生徒の進路」を応援してあげることはもっと大切ではないでしょうか? 

 

↑ともっちさんの記事から

 

こんな目線は私にはかけらもありませんでした。

他者の感情を理解しつつもこんな風に物事を捉えられるなんて、本当に素晴らしいと思います!

 

私が話している最中に「内職」している人は確かにいます。

 

私はその人のこと「こっちが本気で話しているのに、失礼なやつだな」と思っていました。

まさにともっちさんの文中にも書いてある先生と同じですね(笑)

 

今日から、内職している人を見たら「その人を応援してあげる」をいう目線も持つことができます。

私の人間性が少し豊かになったように思います。

 

私の考えも知ってもらいたい

「ともっちさんの考えって素晴らしい」という前提で私の考えも話させてください。

 

「内職」って言うなれば、自分ひとりでできることです。

「授業」って自分以外の人がいますよね?

 

内職って他者を敬う気持ちが欠落している行為だと思うんです。

他者を粗末にする人は、必ず他者に粗末にされると私は考えています。

内職して人の心を傷つけて、その作った時間でその人は何をやっているのか?

ともっちさんのように真剣に・自分自身の気持ちの正直に人生を生きているなら、今回のように感情を動かされるくらい理解もできます。

でも内職している人のほとんどは、こんな真剣な気持ちではないと思います

ほとんど寝ないで内職中にやっている勉強をしているならまだしも、何かと理由を付けて肯定した「自分の時間」や健康や明日の活力のためと意味を持たせた「睡眠時間」を十分にとっているんじゃないかなと思います。

 

要は、「自分のできることを全てやっていないのにもかかわらず、他者を傷つけて自分のために行動しているんじゃないか?」ということです。

私は世界の偉人には短時間睡眠の人が多いことを知り、自分自身もそうなれるように訓練をしています。

その訓練のおかげで、毎日時間が増えるようになり、仕事をしている時間や家族といる時間は自分自身の時間を喜んで相手のために使ってあげられるようになりました

アメリカのドナルド・トランプ大統領の印象に残っている名言

1日12〜14時間寝ている人が、どうやって3~4時間しか寝ていない人に勝てるというのだ?
という言葉があります。

私は、人に勝ちたいわけではありませんが、短時間睡眠の方が他者よりも行動できることは明らかです。

もちろん自分を大切にして、自分のために努力・行動することはめちゃくちゃ大事です。

自分の人生に対して真剣な人ばかりの世の中になれば、世の中変わると思います。

 

でも、人間って自分ひとりじゃ生きていけないんです。

 

「内職」は他者を置き去りにして、自分自身のためのみにしている行動に私は思うんです。

自分ひとりを満足させるために行動する人があまりにも多いので、世の中ちょっとおかしくなっている思っているんです。

 

私は教えている人によく言うのですが、

自分を喜ばせる以上に他者に喜んでいただくことに喜びを感じられる人間になってくれ

なぜなら、自分自身を喜ばせることを一番に考えると、喜ばせてあげられる人は「自分ひとり」です。

ですから喜ぶ回数は一回だと思うんです。

 

でも「他者を喜んでもらうことにそれ以上に喜びを感じられる人間」になったら「何人でも」他者を喜ばせて何回でも自分自身を喜ばせてあげることができるんです。

どっちの人間になった方が、人生幸せになれると思いますか?

私は後者だと思います。

少し前に書きましたが

他者にしたことは、他者から返されるんです

言い換えると「人を喜ばせてあげられる人」は、「人に喜ばせてもらえる人」になれるんです。

 

一方、内職をする人は、自分で自分を喜ばせることは可能でも内職をすることよって他者から喜びをもらえることなんてありえないんじゃないかなと思います。

人間簡単には変われない

みなさん感じられていると思います。

私の言っていることはきれいごとかもしれません。

 

でも私は本当にこんな風に考えて毎日生活しています。

自分が大変だったら「人の代わりに働いてあげられている」

「どうやったら人様に喜んでいただけられるんだろう?」常にこの気持ちを胸に行動しています。

 

人間コツコツ積み重ねることでしか本質的には変われない

一回や二回じゃ、何にも変わりません。

無意識が変わるまで毎日・今の一瞬を行動することによってしか変えられないくらい難しいことだと思います。

 

だからこそ一つ一つの行動を「他者を喜ばせる」という気持ちで行っていく

これしかないんです。

自分本位のことを自分に教えたらすぐそっちを自分の身体は覚えてしまいます。

 

だから全ての行動を「他者を喜ばせるために」使っていく。

それを自分自身の身体に教えてあげる。

なんかお坊さんのように神聖な感じになってすいません。

 

じゃあ内職しないでどうするか?

大学の受験に関係ない科目は「無駄な時間」と書かれています。

本当に「無駄な時間」なんでしょうか?

 

自分だったら「無駄な時間」としか捉えられない自分を改善します。

人に教える身から言わせてもらうと、ほかの人はどうか知りませんが、私は全身全霊をかけて人に教えているつもりです。

「私にしか与えられない価値を話を聞いている人に与えたい」と思っていつも話をしています。

 

だって

私は、教える相手がいるからこそ存在している仕事をしていて、貴重な相手のいただいて話をさせていただいている

からです。

 

ほかの教える人も少なからずそうだと思います。

「何か学びとってもらいたい」そう思っていると思います。

 

学ぶ人は、その「何かを学びとってもらいたい」ことを感じ取ろうとか「この人の話から自分自身を高めるために活かせることは何かないか」と考えながら話を聞くべきだと思います。

 

お互いが相手のことを尊敬しながら行うことがコミニュケーションだと考えています。

授業は、教えている人と多数の教えてもらっている人のコミュニケーションです。

そこにはお互いに尊敬の気持ちがあるべきです。

 

最後に

私は、世の中の一人一人がお互いを尊敬し合い、「喜ばせてあげたい」という気持ちでいるようになったらどんなに素晴らしいのかと考えたりします。

 

内職する人の夢を応援する目線をともっちさんの記事から学ぶことができました。

内職している人に夢を叶えてもらって、心から喜んでもらいたいと思います。

 

でも、その自己実現に他者に対する謙虚な気持ちと感謝の念が加われば、さらに素晴らしいと思います。

「先生、内職してすいません!でも今もっとやりたいことがあるんです!わかってください!」

に加えて、相手が許そうが許すまいが

「先生ありがとうございます。」

という気持ちを持ち続けてもらいたいなと思います。

 

ありがとうの意味

こんな記事を去年の5月に書いていました。私の本質は去年から変わっていませんね。

 

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